過去の自分へ


今日は大学公開日でした。

担当は僕ではなく淡々の中間報告の資料を作っていたのですが、

昼食休憩で担当者が席をはずしているとき、関西からやってきたという

親子が研究室に訪れました。

遠いところわざわざやってきていただいたわけですから、このまま帰るようだったので、

僕がお相手させていただきました。

なあに、もともとは僕の研究だったので大丈夫です。

ひととおり説明が終わると、母親のほうから質問がありました。

もう大人なので娘さんの自主性から情報にやりたいが情報はどうですかと、聞いてこられたのです。

聞けば、お母さんは電気電子にやりたいそうで、

娘さんは情報がいいといっているそうです。

いいお母さんだと思いました。

僕もそれでそのとき考えましたが、いい答えが見つからず自分の高校のときのことを考えました。

けどやっぱりいい答えが見つかりません。

そのときです。急に停電になり(急でない停電はありませんが)

まあそれほど答えを求められていたわけではなかったので、

そのまま帰られました。

しかし、その答えがいまもう見つかっていなければならないような気がしました。

もちろん、自分のやりたいことがみつかったこと、この研究室に出会えたこと、その他たくさんありますが、

情報でよかったのか、その答えは見つかっていないように思う。

だから僕はこれからも勉強を続けていかなければならないと思う。

そこに答えはないのだと。ひとつの選択肢でしかなかったのです。

結果的にはいい選択をしたのだけれど、可能性はほかにもあるはずです。

人生には間違った選択はたくさんありますが、正解の選択はないのです。

また、このほうがよかったという選択はありません。自分で選んで責任が持てるか否かだけ。

関西からきた彼女はひとつの可能性を自分でつかもうとしている。

それで十分なのではないでしょうか。

こんな話はその場でしてもしようがなかったでしょうけどね。

こんな長い日記を読んでいただいて、どうもありがとうございました。