でこぼこ公園にて


今日はあんまり休みすぎたのか、金曜日が遠い昔のことのように思えて、仕事を思い出すのに苦労しました。結局締め切りの迫ったモノは終わっていて、今日も調査and調査の一日でした。かなり賢くなりました。メモリリークはもう逃しません(^_^;)。

さて、今日は先日の三ノ宮での飲み会前に思ったことを一つ。

三ノ宮の阪急会館前にある凸凹公園あたりには、ミュージシャンを目指す若者がドンドン言わせながら、路上ライブを繰り広げていることがあります。その日も同じように騒がしかったのですが、その日はさっぱり歌が聞こえないどころか、ず〜っと打ち込みされたドラムやベースの音しか流れてきません。それはそれでダンスミュージックのようですが、音楽にはなってないと思います。少なくともまた聞きたいとは思わないでしょう。ましてはCDで発売されても買わないですよね、そんな「音」。

デジタルかは素人とプロの境目小さくするというようなことを、昔僕の大学時代に所属していた研究室の助手さんが言っていました。楽器が弾けなくとも、デジタル機器で打ち込み、機械に演奏させればいいわけです。そうなると、プロに要求される技術、創作力がむちゃくちゃ要求されるようになりますよね。

写真家さんも、扱うのが難しい一眼レフのカメラを使って、体験的に拾得した露出補正やフィルター交換も、デジタル補正でなんぼでも編集可能。求められるのは、「何を撮り、何を訴えたいか。そして、アングルなどの想像力。」

逆に、ピントも合わせられない素人さんでも、アングルや撮りたいモノへの執着から芸術的な写真を撮ることは可能とも言えます。僕も、ピントや露出を自由自在に調整できるデジカメを買いましたが、自動の機能がすごすぎて、マニュアルでやる意味があるのかというくらいです。マニュアルで撮影するのは本当にまれです。

歌がうまいってくらいじゃ、歌手にはなれない。人の声さえも、音程を合わせることが最近の技術ではできるそうです。これからは、個性のある声なんかが、プロには求められるんでしょうね。

結局、何が言いたいかというと、凸凹公園とかで単なる音を垂れ流しにしないで欲しいなぁということです。素敵な歌声を聞かせてくれる人たちもいますが、あれじゃ会話を邪魔するだけですよ。みんなの前で練習したいのですかね。それならそれで、生演奏をがんばりましょー。