父が還暦を迎えた夜に

今年、父が還暦を迎えた。
還暦のお祝いには、ゴルフクラブのセットをプレゼントした。石川遼モデルだとかで、それはそれは気に入ってくれた。
僕が父にプレゼントをしたのは、僕が小学生の時、クリスマスプレゼントに豚のキーホルダーをあげたとき依頼だと思う。ほんの気まぐれで購入したもので、数百円程度しかしないものだったが、
未だに愛車レジェンドのバックミラーにつけてくれている。
もう足から綿が飛び出してしまっているのに。

父は、もともと手が器用だったためか、中学を出て、板金屋に勤め始めた。
その頃の父をまったく知らないが、車の修理で生計を立てる職業であるため、
祖父の「人様の不幸で食べる仕事はやめなさい」という一言で、転職。
エレベータの据付会社に勤め始めた。その頃の父はなんとなく覚えているが、その当時も会話をした記憶がない。
現在は、小さい町工場でプラスチックの再生工場を社長として切り盛りしている。
けれど、僕と妹の二人を大学までいかせてくれた。
「貧乏な思いをさせてごめん」といわれていたけれど、そんなこと思ったことなかった。

父との思い出は、週末のソフトボールクラブ。
父は、地域のソフトボールクラブの監督を任されていた。僕は一部員でした。
「ソフトボールの時間は、監督と呼べ」と言われて、練習も厳しかったが、誇らしげだったことを覚えている。

ギャンブルやタバコはしないが、お酒が大好き。安いお酒でも大丈夫だし、酒癖が悪いわけではない。
正確に言うと、僕が原因でタバコをやめた。
小さい頃、僕がタバコを食べて、病院に担ぎ込まれたことがあったからだそうだ。

妹が結婚したとき、ちょっといろいろあって、父は激怒。
旦那さんがよく考えなくてはならないことであり、軽率でした。
僕は仲介役として、まぁまぁと割って入ったりしていたのですが、そのときの父の言葉で、真意がわかりました。
「俺が怒らないで、だれが守ってやるんだ」
これから、守る役が旦那さんに変わる直前の、最後の憎まれ役。
それを買って出て、けじめをつけたような、そんな気持ちのこもった言葉でした。

まだまだ書きたかったことがたくさんあるんですが、僕の文章がもどかしくて、すいません。
この正月には、また親孝行してきたいと思います。

お父さん、おめでとう。そして、ありがとうございます。
これからも元気で、長生きしてください。