実家に帰る前に


今日の文章は少し長くなるかも知れません。そして少しブルーです。

機嫌が良かった昨日とは打って変わって、今日は少しブルーです。これは前から自覚していて、自分としては克服していると思っていたのですが、たまにこうやってブルーになります。

これは、自分の人生に対する文句で誰に文句を言うわけでもありません。

ですから、興味のある人だけ読んでください。これを読んでブルーになっても一切責任はとりませんので悪しからず(^^;)

この話は、僕が幼稚園の頃から始まります。

近所に、川原君という友達がいました。おそらく僕の記憶では彼が僕の一番はじめの親友だったと思います。しかし、彼はうどん屋の息子で店の移転で引っ越していきました。幼い頃の親友なんてそれくらいで切れてしまうモノですが、小学校1?2年で引っ越した彼と小学校5年生頃まで年賀状のやりとりをしていました。しかし、それ以来ぱったりです。

同じ頃にみっちゃんという女の子がいました。おそらくそれが一番はじめに遊んだ女の子で、うちの両親によると彼女と結婚したいと僕が豪語していたそうです。しかし、その子もまもなく引っ越していきます。まぁこの2件は比較的だれでもあるでしょう。

そして、中学生だったかな、みんな塾とかに行き出すように鳴った頃の話です。その頃、友達の間で英語教室がはやりました。僕も英語に興味があったわけではなく、近所にいたY君もそこに通っていたという理由で両親に頼んで通い始めました。しかし、同じ学年の友人は飽きてしまったのか次々に止めてしまい、最終的には塾と言いながら先生と僕の二人だけでした。コレは別の話ですが、先生は若い女の先生で、ちょうどそのころ婚約したということでした。中学生の坊主にはかなりまぶしかったのを覚えています(^^;)。結局、卒業までそこにいたのですが、その先生から僕に対して一枚のメッセージカードをプレゼントしてくれました。そこには「マイペース」と書かれていました。そのころから僕は何かに焦っていたのでしょうか?その文字を今でも覚えています。

閑話休題、高校時代になって、1年目は楽しかったのですが、2年目からクラス替えがあり、いきなりガラの悪い友人の機嫌を損ねて、クラスで孤立してしまいました。これは僕も悪かったと思うのですが、はっきり何が原因だったのか覚えていません。

大学時代は比較的よかったかな。同期の友人はたくさんいたし、遊びにも行った。

そして、社会人。同じ寮になったのは6人にて、結局今2人。結果的に、入寮の頃仲の良かったM君は長崎に行ってしまったし、隣駅の垂水寮は廃寮になった。同じ寮にいれば飲みに行く機会もあるだろうし、遊びに行く話もしやすい。ましてや僕は1年目の半年間こちらのいなかったので、それも飲み仲間に入れない理由なのかと勝手に推測します。

結局何が言いたいか。同期、同世代と歩調が合わないんですよ。何で昨日ブルーだったかというと飲みに行こうと同期で話していたのですが、だ〜れも僕の時間にあわず連絡も取れず、2時間待ちぼうけをしたのです。な〜んだと思うかも知れませんが、そのときはブルーだったな。

結構僕は話しづらいのかも知れません。話はまじめだし、意味のない会話も苦手だし、からかわれるのも苦手だし。人と関わることをあまりしないという人に限って、よく人と遊んでます、僕に言わせれば。自分は気がつかないんですよ。基準がないから。例えば、僕が人よりも親孝行だ!とか物差しで測れないですモノ。

その代わりといってはナンですが、年輩の方と子どもには嫌われたことがないかな。年輩の方には「今時の若いモンにしては・・・」とよくいわれます。タダ単に考え方が古いだけ?

思い出した、小学生の頃、好きだった女の子に2番目に好きといわれたことがありました。最近では、30過ぎたらもてると思うよといわれました。これって全然うれしくないですよ。本人には言ってないけど。

あぁ俺って相当暗い奴?人のいったことを気にしすぎて、記憶してしまうことがよくあります。

書いていて、僕も考え過ぎかなと思います。たまにはネガティブな指向でブルーになりたいときもあります。何がいけないのかな〜って考えるのも大事なことだと思うんですが考えすぎはよくないよな。おし、もう忘れました。

このまま今日は実家に帰るので、なんだかいやなことをこっちに残しておくのがいやではき出してしまいました。悪しからず・・・