パラダイムシフト
今日は久しぶりにバレーの試合に行って来ました。もちろん観戦のためですが、部長として(もちろん本当は部長じゃないが)ベンチ入りしました(^^ゞ
その後の飲み会にも出席しましたが、いやはや朝からこんな時間までよく毎週やっていたなとつくづく思いました。
さてさて、今日は親愛なるきたむら氏の日記を読んでの感想を述べたい。
--引用
もうこれ以上複雑な携帯電話機能は要らない。もうこれ以上テレビの画像は良くなくていい。もうこれ以上情報端末は要らない。
--引用終わり
僕は、もっと携帯電話の機能が欲しいし、使い勝手も悪い。携帯電話のインタフェースも気に入らないし。そもそも携帯電話は「ケイタイ」という新しい端末に成り変わっているにもかかわらず、電話の形を捨てられないでいること自体がおかしい(もはや電話の機能は付属でしかないと僕は思う)。
しかし、一方でうなずける内容ではある。それはサービスを提供する側が何を提供していいのか、イメージできていないのだ。僕にはサービスしてほしいものがまだまだある。
たまたま、きたむら氏はアナログな世界から脱却できず、デジタルの今実現できているおいしい部分だけをみて、そう感じているのだとおもうが、そもそも複雑な機能と思っていること自体が古い(とあえていわせてもらう)。
こんにち、4,5歳の幼児でさえケイタイを使って会話をし(これは話すだけでなく電話をかける行為も含む)、ケイタイで写真を撮る。僕はこの事実を目の当たりにした頃から、来るべきデジタル世代の恐怖を感じた。僕が携帯電話を買ったとき、電化製品のマニュアルを初めて読破して使い方を学んだ時代は終わったのだ。
ファミリーコンピュータに熱中していた我が世代は、プレイステーションのマニュアルは読まないだろう。これは、我が世代がゲームという電化製品を使いこなしていただけでなく、洗練されたインタフェースをゲームが手に入れたからである。ケイタイはその域に達していないと思うが、それでも難なく使いこなせる世代がもうそこまできている。
人差し指でパソコンのキーボードを押している会社の先輩を見て不安に思うのは、おそらく、僕らが40,50代になった頃の自分であるかもしれないと考えてしまうからかもしれない。
パラダイムシフトをはかる時期にきているのですよ、僕らも企業も国も、すべてが。