こんな父です


今日はほとんどプログラムを書くことに時間をかけました。たいしたアルゴリズムじゃないんですが、久しぶりにC言語でしたのでポインタの扱いになれなくて、時間がかかりました。明日はその試験かな。

そのほか今日は全然書くことが思いつかないので、自分の父について書いてみようと思います。

そんなわけで、興味ない人は読み飛ばしてください(^_^;)(だったらここに来ないって?)勝手に書いていいのかなぁと思いながら書きます。質問は直接どうぞ。僕の記憶も中途半端なので間違っている部分もあるかもしれません。

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その昔、ファミレスで昼食を食べながら聞いた話です。

名前は由雄(よしお)、昭和24年12月6日生まれです。中学を卒業後、板金の専門学校へ入学。車のへこんだ部分をなおしたりする仕事ですね。板金屋でしばらく働きましたが、他人の不幸せを喜ぶような仕事はいかんという祖父の一言でエレベータの設置会社へ。(だったら始めから学校行かせてもらえたんだろうか、自主的に行ったのかもしれない)。そこで数年間サラリーマン生活を堪能し、その後、祖父の町工場へ。祖父の工場では土壁の材料を作っていました。今の住宅ではすっかり見なくなりましたが、ざらざらした、さわるとぼろぼろこぼれ落ちる部屋の壁ありませんでしたか?あれです。

何年か修行をした後、その町工場はなぜか、プラスチックの再生工場へモデルチェンジ。プラスチック容器を作る際にできる余分な部分を細かく粉砕し、またプラスチックの原料として利用できるようにするのです。なんてエコロジー

その工場で僕も学生の頃は何度かお手伝いをしました。今でもごくまれにしますが、本当に大変な仕事です。粉砕器はむちゃくちゃうるさく、完成したプラスチックの原料はむちゃくちゃ重い。おかげで父は50を越えましたが、健康そのものです。

そんな波瀾万丈?な人生を歩んできた自分だったため、僕には安定した生活をして欲しかったみたいです。福井で就職しないと決まったとき、一番悲しんでいたのは父ですけど。

なかなか味のある田舎の親父って感じです。まだまだ書きたいことはありますが、父に申し訳ないのでこの辺で。