バベル
賛否が別れそうです
全体的に悲しい
コミュニケーションの不完全さは人間の本質であるということ
濃厚な空気の味 子供たちの光と影
観ていて、辛くなる映画でした。鑑賞後に感じた虚しさは、なんなんでしょうか。
〜引用 wikipedia〜
原題のバベルとは『旧約聖書』の「創世記第11章」にある町の名。町の人々は天まで届くバベルの塔を建てようとしたが神はそれを快く思わず、人々に別々の言葉を話させるようにした。その結果人々は統制がとれずばらばらになり、全世界に散っていった。映画ではこれを背景として、「言葉が通じない」「心が通じない」世界における人間をストーリーの行間から浮き上がらせていく。
2008.7.7
というwikipediaの内容を見て、この映画の伝えたいことが分かった気がします。
この映画では、だれも悪気はないのに、悲しいことが起こり続けます。
それは、どれも言葉、コミュニケーションがとれていないことが原因だったりします。
特に、東京が場面のシーンで、菊地凛子さん演じる綿谷千恵子は、言葉が話せないのですが、それはコミュニケーションがとれないということの本質ではない気がしました。なんとなくですが、最後まで千恵子が聾であるという感じがしませんでした。
つまり、仲間同士で遊んでいても、つながりを感じられないということです。一時の快楽のためだけの仲間。そんな現代の人のつながりを感じます。
一方で、メキシコからやってきて、ベビーシッターで生計を立てていた女性は、その子供達と生まれたときから一緒にいたことから、精神的なつながりを感じているにもかかわらず、国の問題で子供達から引き裂かれます。もちろん色々問題があったからなんですが。。
一方ではつながりがあるようでない、一方で十分なつながりがありながら政治的問題で引き裂かれる。映画ではこの他にもいろんな人の関係が描き出されます。
いちいち、考えさせられる、悩ましい作品でした。